· 

禅宗 は 行脚宗(行脚55年 その2)



こう うん  りゅう すい 

行雲流水 (行脚55年 その2)

―――全国行脚七年有半―――


鹿児島・秋目浦から山陽道,北陸道を経て 東京まで2,000㎞行脚 (H24年)


禅宗 は 行脚宗


禅宗を

 

労働宗とも 

 

行脚宗ともいいます。

 

 

実際をいえば、 

 

本来仏教の全体を挙げて行脚宗なのだといえるのです。

 

 

釈尊45年の説法は、

 

いつも(りょう)鷲山(じゅせん)祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)でのみ行われたのではなく、

 

随時随処、 

 

行雲流水的に行われていました。


 

僧院や僧団などという 固形体ができたのは後のことで、

 

仏教の始めにあたりては 

 

行脚宗、

 

遊行宗 

 

だったのです。

 

 


鹿児島より東京への行脚中(尾道  平成24年 71歳)


釈尊の時代と 今とは違う といわれる人もいます。

 

また、新幹線や飛行機の発達した近代では、

 

昔ながらの行脚は 再現不可能だ という仏教学者もいます。 

 

 

しかし、行脚をするかしないか、

 

今日行脚できるか できないかは

 

その人、その僧侶の 

 

心の置き所 

 

ひとつで決まることといえます。  

 

 

 

行雲流水 

 

雲が風のままに移動し、 

 

水が絶えず流れてとどまることがないように、

 

 一所不在で 任運自在に処する 

 

仏教的経験を養い味わいたいと思えば、 

 

いつの時代にあっても 行脚はできるのです。 

 

  

顎引いて 腰骨立てて 黙々と

 

ただ黙々と 黙々と歩く

 

 


に ん ぬ ん  じ   ざ い

任 運 自 在


(いち)(りゅう)一杖(いちじょう)乞食(こつじき)雲水(うんすい)となり 

 

寺々の門を叩いて教えを乞う―――

 

 

「仏教とはなにか」 

 

「人間とはなにか」 

 

「自分の生命はなんのためにあるのか」と。 

 

 

 

だが、

 

ほとんどの寺では門前払いされ、

  

時には 

 

「乞食坊主が何を寝言いうか!」 

 

と、雨の中に叩きだされたこともありました。

 

 


 

正直にいえば、

 

行脚に出た頃は 

 

寺々に一夜の宿を乞い 10軒のうち9軒は断られ

  

河原の草を茵(しとね)に 橋の下を宿とする日々で

 

心細さがさきにくる 情けない凡夫僧でした。

 

 

愚 歌

    寺々に宿を乞えども ことわられ 

         星をまくらに 岩陰に()

 

 

    ・最上川 こよいの宿は 橋の下 

      川面にうかぶ 月を友とし 

 


しかし、 

 

寺々に宿を断られたおかげで、

 

腹をすかして米一粒の有難さがわかり、

 

  

親切な農家に泊めていただいて 

 

蒲団の温もりを知り、

 

人の情けの暖かさを味わうことができました。

 

 

 

そして、 いつしか

 

天地大自然を師とし、 

 

山河をわが家とし、

 

小鳥の声に目を醒まし、  

 

朝の太陽の光を体いっぱいに吸引し、 

 

お天道様が西の山、西の海に沈めば、 

 

月を枕に橋の下に臥すことが 多くなっていきました。 

 

 


 

 行脚に出た頃は 

 

自然の声をきき 

 

自然と語ろうだけでしたが 

 

 

3年目頃からは、 

 

自然の奥にあるもの(つか) 

 

 

7年目頃になると、

 

自然の中に溶け込み 

 

自然と一如一体になり

 

 

 

日々、 

 

自然の変化を味わい、

 

楽しみ、遊ぶ心境になっていました。

 

 

 

任 運 自 在

 

 任せきった心境に立って、

 

一切を素直に正受し、 

 

今日只今に 生きる 

 

 


病 と 遊ぶ


 

 私は一大発心をして 全国行脚にでましたが、

 

 

半年たった頃から 

 

野宿や旅のつかれがでてきて 

 

病気になり 

 

紀州和歌山で歩く力もなくなり 木賃宿に臥しました。 

 

安宿の 汗のにほいの しみつきし

 

床に身を病み 家ぞこいしき

 

 

これは 

 

放下著(ほうげじゃく)

 

(何もかもきれいサッパリと捨ててしまえ)を 

 

看板とする行脚僧としては、全くおはずかしい歌でした。

 


 

 しかし、 

 

5年6年と行脚するうちに

 

心も練れ 

 

腹も据わってきて、

 

 

 

行脚7年目の春、 

 

 京都で旅の末に病み つかれて安宿で寝込んだときは、 

 

 

一切を 弥陀にまかせて 春風に

 

吹かるるままに 病と遊ぶ

 

 

の境地を味わい 

 

楽しむことが できるようになっていました。 

 

 


旅は 憂いもの 辛いもの


 

 

行脚の 教育的価値は

 

ただ寺々の門を叩き問答をすることだけでなく 

 

 「旅に病んで 夢は枯れ野をかけめぐる」

 

という境地を体験するところにあります。

 

 

 

「旅は憂いもの辛いもの」 といいますが、 

 

行脚をしていますと 

 

頼る人がいないために、

 

とかく憂いこと 辛いことが多々あります。

 

 


これは豊橋での出来事でした。

 

佛國寺建立のための托鉢で 貯まったお金を入金しようと 

 

神戸に本店を置く大手都市銀行に入った

 

とたん、

 

 警備員から

 

「お断り!」 

 

有無を言わさず追い出されました 

 

 

訳が分からないまま また入りますと、

 

 

三度目には 

 

「お断りと言ってるやろ!」 

 

すごい剣幕でつまみ出される始末です。

 

 

銀行の入り口で 押し問答していると

 

奥の方から ワイシャツの袖をまくりながら 次長と名乗る男性が横柄な態度で 

 

「なんやねん!」 

 

といいながら出てきました。 

 

 

 

私は

 

「寺を建立するため托鉢をしていますが、一部資金ができましたので、預金にきたのです。」

 

と、 趣意書を見せながら話をしますと、

 

 

そこに記載されている 

 

支援人の錚々(そうそう)たる顔触れを 見た途端に 

 

態度が一変

 

 

そして神戸の本店から

 

しかるべき人が お詫びにとんで来られました。

 

 

 

行脚も 5年6年となると、 

 

網代(あじろ)(がさ)も法衣も()()ぎだらけの 

 

ぼろ笠 ぼろ衣で 

 

一見 

 

物乞い坊主に見えたのでしょう。

 

 

私は この体験のおかげで

 

 

外見だけで人を判断してはならぬ

  

ということを 身を以て学びました。

 

 


旅は情け、人は心


 

 

「旅は情け、人は心」といいますが、 

 

旅にあっては  人の情けがひとしおうれしく感ぜられ、

 

 

 

それゆえに、

 

人の心の置き所 

 

が大切だと教えられました。

 

 

 

昭和62年春、行脚も5年になると法衣は継ぎ接ぎだらけになり、

 

どこから見ても みすぼらしい乞食坊主にしか見えません。 

 

 

 

九州中央山地の山々を越えて 椎葉村で腹をすかして歩いていると、

 

鹿野遊(かなすみ)小学校の近くで 下校途中の女の子3人が 元気よく挨拶をしてくれました。 

 

椎葉村十根川集落に入りしばらく行くと 10人ほどの子供たちに会いました。 

 

その子供たちの道案内で 十根川神社への山道を登っていると

 

坂の下から

 

「お坊さん!」 

 

と呼ぶ声が聞こえてきます。

 

 

振り返ってみると、

 

先ほど会った女の子が 息をきらせながら登ってきます。 

 

一人の女の子(相生和美ちゃん・当時小学5年)が、 

 

「お坊さん、おにぎり食べて下さい」 差し出したのです。

 

 

私の姿が、 お腹が空いているように見えたので

 

急いで自宅に戻りおにぎりを握ったとのこと。 

 

この十根川神社で 子供たちに囲まれながら食べた

 

和美ちゃんのおにぎりの味 今も忘れられません。

 

(この出会いは、昭和62年7月16日宮崎日日新聞に掲載されました。)

 

 


地獄の底に極楽はある


  

行脚僧は、寺々の門を叩いて心を練り

 

雑踏の道端に 坐禅を組んで腹を養い 

 

胸中無一物 練るべきものを練り、

 

「捨ててこそ」

 

仏教的境地を体究体得します。

 

 


 

 また、行脚をしていると あらゆる階層の人に、

 

あらゆる関係で接触するところから、 

 

活きた人格が養われますので、

 

 

机上の学問と違うところは 概念の世界にのみ生息するのではなく

 

  

生きたものを 生きたままで捉えん 

 

 

という姿勢が 大きく異なるところといえるでしょう。 

 

 


  

七年有半の全国行脚で摑んだものは、 

 

机上の学問では無く、

 

生きた世界の 

 

生きた人間相手の 

 

生きた仏教

 

――――どんな所にも、苦悩を抱えて生きている人がいる――――

 

 

地獄の底に極楽がある

 

 

 ―――苦しい地獄の関所を越えなければ 楽しい極楽にはいけない。

 

 

だが、 

 

私は この平凡な真理がわからず 

 

煩悩地獄 妄想苦海で 七転八倒してきました。

 

 

人はともすると 

 

生きる苦悩を十分に経験しないで、 

 

なるべく  生きる悦びだけを味わおうとします。 

 

 

 

もとより 

 

それは大きな間違いだといえるでしょう。

 

 

という味を知らないで、 

 

どうして

 

の味がわかるのでしょうか。    

 

 

 

を経ないものが  

 

どうして 

 

手に入れることができるでしょうか。  

 

 

を離れて、 

 

何処にがあろうか。  

 

 

 

に即してこそ

 

はじめてがあるのです。 

 

 

世の中の苦を耐え忍んでいる人は、  

 

極楽の入り口  

 

に立っているといえるのです。

 

 

 

平成28年9月24日

 

自然宗佛國寺   開山  愚谷軒 黙雷   

 

              


自然宗佛國寺・開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年、下座行(路上坐禅)50年からえたものを、

長期連載でお伝えいたします。


#禅宗  #行脚宗 #行脚55年 #行雲流水 #全国行脚七年有半 #労働宗 #遊行宗 #心の置き所 #自然と一如一体 #任運自在 #今日只今 #夢は枯れ野をかけめぐる #外見だけで人を判断 #旅は情け #人は心 #捨ててこそ #無一物 #地獄の底に極楽がある #概念の世界